1953年から伝説のビッグバンド、カウント・ベイシー楽団に参加し、同級生のフランク・ウェス(ts)と共に“トゥ・フランクス”と呼ばれ人気を博していた、テナー奏者でありソプラノサックス、フルート奏者、そしてアレンジャーおよび作曲家のフランク・フォスター(Frank Benjamin Foster III:フランク・ベンジャミン・フォスター三世)は1928年9月23日、オハイオ州シンシナティに生まれました。
同州の歴史的黒人大学(アフリカ系アメリカ人学生の教育を目的としていた高等教育機関)、私立ウィルバーフォース大学で教育を受けた後、1949年ミシガン州デトロイトに移り、そこで地元のジャズシーンに参加するようになりました。
せっかくジャズプレーヤーとしての活動を始めたフォスターでしたが、1951年に徴兵され、朝鮮戦争の戦場に送られました。戦地では後にベイシー楽団で共演することとなる、サックス奏者のショーン・ウォレスと同じ部隊だったそうです。
1953年に兵役を終えたフォスターは、すぐさまカウント・ベイシー楽団に参加することになりました。フォスターはベイシー楽団において、サックス奏者としてばかりでなく、スタンダード曲「Shiny Stockings」や「Down for the Count」、「Blues Backstage」、「Back to the Apple」、「Discommotion」、「Blues in Hoss Flat」などの、数多くのヒット曲の作曲とアレンジを提供しました。また同楽団のルーレット時代の名盤、『Easin’ It (1962)』ではアルバム全体のアレンジをしています。
1970年から1972年までエルヴィン・ジョーンズのバンド、1972年から1975年にはサド・ジョーンズ-メル・ルイス・ビッグ・バンドに参加しています。1972 年から 1976 年までは、ニューヨーク州立大学バッファロー校 (SUNY) の黒人研究プログラムの常勤助教授も務めました。
1986年6月、フォスターはそれまでサド・ジョーンズ(tp, arr)が務めていた御大ベイシー亡き後のカウント・ベイシー楽団のリーダーを受け継ぎました。彼が率いたベイシー楽団は、2つのグラミー賞を受賞しています。
フォスターは2001年に脳卒中で左半身が不自由になり、サックスを演奏出来なくなってしまいました。 その後亡くなるまで、バージニア州チェサピークの自宅で作曲と編曲を続け、2011 年 7 月 26 日に腎不全で死亡しました。
フォスターのテナーはセルマーMark VIにオットーリンクのメタルマウスピースです。演奏スタイルはビ・バップを基本とし、豪快でパワフルな演奏も、またしなやかで繊細な演奏もどちらもこなせる器用で多様なプレイスタイルと言えるでしょう。
キャリアの多くの時間をビッグ・バンド畑で過ごしていますが、コンボでの秀逸な作品も数多くあり、エルビン・ジョーンズ(ds)のバンド、ジャズ・マシーン(エルビン・ジョーンズ、パット・ラバーバラ(ts)、フォスター、ローランド・プリンス(g)、アンディ・マクロード(b))で来日したときのライブ盤、『至上の愛・ライヴ・イン・ジャパン(1978)』では、コルトレーンを思い起こさせる、ワイルドで重厚な演奏を聴かせています。
ちなみに彼の作った名曲、「Shiny Stockings」は、ステージ上のフォスターが、客席の可愛い女性のストッキングが照明で光っていたのを見て曲名を思いついた、とのおちゃめな逸話が残っています。
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