コロナ禍真っ只中の2021年6月26日、日本のジャズサックス界の重鎮、土岐英史(ときひでふみ)が闘病の甲斐なく71歳で亡くなりました。
常に日本のサックス界をけん引し、ジャズ、フュージョン、R&B、ポップスなど、幅広いジャンルで活躍し、かつ後継者の育成にも力を注ぎ、多くの人々に慕われたサックス奏者でした。土岐は多くの教則本を出していますが、闘病中も新刊の教則本を執筆していたそうです。
土岐は1950年2月1日、兵庫県神戸市に生まれました。中学2年のときにブラスバンドに入り、クラリネットを始めました。中学3年でサックスに転向し、ジャズのアドリブを見よう見まねでやっていたそうです。
大阪音大付属高校に入学してからはジャズにどっぷりとはまり、春休みや夏休みのたびに上京し、自由が丘の老舗ライブハウス、『ファイブスポット(ジャズ評論家、故いソノてるヲ氏が経営していた店)』等で演奏していました。大阪音大に進むも、2年生の時に中退し、上京してプロの演奏活動を始めました。
上京と同時に鈴木勲(b)のグループに参加し、ライブ活動をおこなっていましたが、ビッグバンドの名門、ニューハードのリーダー、宮間利之に認められ、リードアルトとして入団します。ニューハードを1年半で辞め、福村博(tb)らと一緒に自己のバンドで活動しました後、日野皓正(tp)バンドに参加したり、渡辺香津美(g)やスティーヴ・ジャクソン(ds)らとバンドを作るなど、活動の幅をを広げていきます。
75年には初リーダー作 『TOKI』をリリースし、79年には松岡直也(p)のバンド、ウィシング(サルサ/フュージョン)のメンバーとしてスイス・モントゥルー・ジャズ・フェスティバルに出演します。85年には山岸潤史(g)、続木徹(keys)らとともにフュージョンバンド「CHICKEN SHACK」を結成し、同バンドはフュージョン分野で人気を博し、数十枚のアルバムをリリースしています。
山下達郎のバッキング・メンバーの一人としても有名で、1977年から2011年まで山下達郎のツアーに参加していました。ツアーでは、「ギターの譜面しか与えられず、リハーサルではほとんど寝てるか聴いているだけ。で、だんだん吹くところが見えてくる。それで毎回、ソプラノ吹くわアルト吹くわって変わってる。イントロを吹いたり吹かなかったり、とにかく、おたまじゃくしの指定はまったくなかったんですよ。」、とインタビューで答えています。
スタジオミュージシャンとしても人気が高く、数多くのアーティストの作品に参加しています。また土岐著作の、「サックス土岐英史直伝!12Keyにフル対応出来る究極アドリブ練習法」はジャズのアドリブ奏法の教則本として人気が高く、発売以来ロングセラーを続けています。
土岐の楽器は、ソプラノはセルマーMark VIにウッドストーン Toki モデルのマウスピース、アルトはセルマーMark VIIにクラウド・レイキー 4×4のマウスピースです。どちらにもバンドーレンのリード、トラディショナル(青箱)を使用しています。
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