テナーサックスをほとんどフルトーンで吹き鳴らし、豪快でエキサイティングなプレーで人気を博し、「武闘派テナー奏者」とも呼ばれたハードバップ&フュージョン・サックス奏者、スティーヴ・グロスマン(Steven Mark Grossman)は1951年1月18日、ニューヨークのブルックリン地区で、アマチュアピアニストであった母、ロザリンドと、後に有名なオーディオメーカー、KLHオーディオの社長となる父、アービンの間に生まれました。
なんと8歳でアルト・サックス奏者として音楽活動をスタートし、兄弟と組んだバンドでサックスを演奏していました。10代半ばにはソプラノ奏者として活動の幅を広げ、幼少期からジャズに浸ってきました。
18歳の頃、彼の演奏を聞いていたジャズ・トランペットの帝王マイルス・デイヴィス(tp)にスカウトされ、ウェイン・ショーター(ts)の後任としてマイルスバンドのメンバーとして加入しました。
偉大なトランペッターと同じバンドで過ごした時間は決して長くはありませんでしたが、「Miles Davis at Fillmore: Live at the Fillmore East (1970)」、「A Tribute to Jack Johnson (1970)」、「Live-Evil (1970)」、「Black Beauty: Live at the Fillmore West (1973)」など、後世に影響を与えたマイルスの重要作に参加しています。
1971年から3年間エルヴィン・ジョーンズ(dr)のバンドに在籍し、日野皓正、菊地雅章、中村照夫など多くの日本人ミュージシャンとも共演を重ねました。日本には3度来日しており、全日本ツアーや、新宿の老舗ジャズクラブ「SOMEDAY」でのライブ公演の録音がリリースされています。
重厚な音色とスピード感溢れる独特なフレージングで、先鋭的なサウンドのバンドでも、またメイン・ストリーム系のビ・バップでも、不変の存在感を際立たせて天才肌のグロスマンですが、人間としては決して常識派とはいえず、弟子のサックスを「仕事があるからちょっと貸してくれ」と言って、そのまま質屋に持ていったり、金持ちの親に小遣いをもらって薬物を買ったりしてました。
ジャズ界の名レコーディングエンジニア、デヴィット・ベイカーは収録の際に、グロスマンを「壊れてる男」と呼んでいたそうです。曲を勝手に吹き始め、テープを回し始める前に演奏を始めてしまうため、何も録音出来ないこともあったからです。
グロスマンのテナーサウンドはあくまで豪快で、直線的に突き刺すような大音量で吹きまくるのが、彼のスタイルです。テナーは主にSelmerのヴィンテージMark VI等を使用しており、マウスピースはフィル・バロンがリフェースした、オットーリンクのFour Star、またはフレディ・グレゴリーがグロスマン用に製作したカスタムモデルを使用していました。
彼のサウンドと同じように、私生活でも奔放な人生を歩みましたが、2020年8月13日、ニューヨーク郊外のロングアイランド、グレンコーブの病院で、長い闘病生活の末に69歳で亡くなりました。
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