フリージャズサックスの第一人者であり、なぜかミジンコ研究家としても有名な坂田明は、1945年、広島県呉市に生まれました。高校でブラスバンド部に入り、クラリネットを手します。広島大学水畜産学部水産学科に進学した後アルトサックスに転向し、ジャズ同好会で音楽漬けの生活を送ったそうです。在学中の1966年、来日したジョン・コルトレーンの広島公演を聴き、プロのサックス奏者になることを決意します。
1969年、大学卒業後上京し、各セッションで腕を磨いた後、1972年に山下洋輔トリオのメンバーに参加しました。山下洋輔トリオでは、メ-ルス・ニュ-ジャズフェスティバル、ベルリン・ジャズフェスティバル、プラハ・ジャズフェスティバル、ワルシャワ・ジャズフェスティバル、モントルー・ジャズフェスティバル、ニュ-ポ-ト・ジャズフェスティバル等、世界中の様々なフェスティバルに出演しました。
1980年より「SAKATA TRIO」を結成し、81年には同トリオでヨ-ロッパツア-を実施。「SAKATA ORCHESTRA」でベルリン・ジャズフェスティバルに出演。以後「WHA HA HA」、「SAKATA SEXTET」、「DA-DA-DA ORCHESTRA」、「MITOCHONDRIA」、「HARPACTICOIDA」など、様々なグル-プの結成、解体を繰り返しています。
現在まで常にフリージャズの最前線で活躍し、『どうでしょう?!(1997)』、『海(1998)』、『「SCENIC ZONE(2001)」等、数多くのアルバムを発表しています。
本人曰く、「僕は音楽を通して“生きる”ことの表現をしている」という言葉が示すように、演奏スタイルはあくまで「熱く」、太く豪快なアルトサックスサウンドを、思いのままに辺りにぶちまけるような奔放な音世界を、齢73歳になった今でも繰り広げており、サックスプレイヤーとしてジャズの最前線に立ち続けています。
2002年、57歳の時に坂田は脳出血で倒れました。ある朝、奥様が坂田の呂律(ろれつ)が回ってないと気付き、近くの総合病院に行ったらそのまま入院。処置が早かったため2週間で退院できましたが、その後復帰しようとサックスを手にしたら、どうやって吹いて良いのかが分からなくなっていました。
脳の左側をやられて右半身に影響が出ており、身体のバランスが崩れてサックスが吹けなくなっていたそうです。身体のバランスをもとへ戻すための体幹を鍛えるリハビリで、2003年5月にはヨーロッパツアーに復帰しました。趣味でミジンコの研究活動をしており、2003年、長年のミジンコの研究・普及活動が認められて日本プランクトン学会より特別表彰を受けています。
坂田の使用楽器は、セルマーセリエIIIのゴールドプレート特別彫刻モデルと、石森楽器製Wood Stone Alto Sax New Vintage VL(ヴィンテージラッカー)。マウスピースはクラウドレイキー、リガチャーにWood Stone GP、リードはシュトイヤー(Steuer)JAZZ 2番とのことです。
——————————————————————————————–
⇒『 AIZENより お月見キャンペーン♪ 返品保証30日+豪華3大特典付き』
⇒『AIZENお客様の声キャンペーン!』
この記事へのコメントはありません。