グラミー賞を9回も受賞し、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ、マイルス・デイヴィス・クインテット、ウェザー・リポートと、それぞれ時代を代表するバンドの中核メンバーを務め、つい3年前の2018年には、なんと85歳で3枚組の最新録音アルバムを発表し、ジャズ界を震撼させてしまうという、サックス界の巨匠中の巨匠、ウェイン・ショーター(Wayne Shorter)は1933年8月25日、米国ニュージャージー州、ニューアークに生まれました。
15歳の頃からクラリネットのレッスンを受け、ニューヨーク大学(音楽教育専攻)へ進学しました。大学卒業後陸軍に入隊し、狙撃手として従軍しましたが、数年後の1958年には除隊しています。その後、ナイトクラブ等でプロサックス奏者として活動し、次第に腕を磨いていきます。
ショーターの輝かしいキャリアのスタートは、1959年のアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズへの入団と言って良いでしょう。同グループでは演奏者であると同時に、音楽監督の役割も担い、作曲、編曲、ステージ構成等の分野で才能を発揮しました。
ジャズ・メッセンジャーズは当時波乱の最中で、1958年2月、ジャッキー・マクリーンが麻薬で逮捕され、その代役としてベニー・ゴルソンが加入。アルバム『モーニン』を発表し大ヒットとなり、空前のファンキー・ブームとなりますが、ゴルソンは翌年にはバンドを離れます。
メンバーの入れ替わりが続き、1959年秋に、サックスおよび音楽監督担当としてウェイン・ショーターが入りました。ショーターは同バンドの看板曲のひとつである「チュニジアの夜」を、ドラム・ソロを中心とするアレンジにリメイクし、アルバム『チュニジアの夜(1960)』に収録。これが、ブレイキーの長いドラムソロをフィーチャーした、バンドの看板曲として親しまれることとなりました。
1964年、マイルス・デイヴィスのクインテットに入団すると、すでに入団していたハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスとともに、伝説の「黄金のクインテット」としてアコースティックジャズの頂点を極めることになります。
途中活動の休止を余儀なくされる時期もあり、録音された作品はあまり多くはありませんが、『E.S.P.(1965)』、『マイルス・スマイルズ(1966)』、『ソーサラー(1967)』、『ネフェルティティ(1967)』等、優れたスタジオ・アルバムと数枚のライブ・アルバムを発表しています。
マイルスのバンドを脱退した後の1970年、ジョー・ザヴィヌル、ミロスラフ・ヴィトウス、アイアート・モレイラらとともにウェザー・リポートを結成します。従来のジャズの方法論やステージングに捕らわれないこのバンドは、クロスオーヴァーと呼ばれるジャンルを確立し、絶大な人気を博しました。また1976年からは、ハービー・ハンコックの「V.S.O.P.クインテット」にも参加しています。
伝説のサックス奏者、ショーターは往年の名器、ヤマハYSS-62RSソプラノサックスを長年使用しています。曲想によってテナーとソプラノを持ち替えて演奏するというスタイルを確立したのは、ジョン・コルトレーンと言われていますが、実はウェイン・ショーターだ、というのがサックス吹きのもっぱらの噂です。
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