チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンなど、歴史上のジャズレジェンドは、死後も多くの未発表音源が発表され、その度に話題となります。しかし10年ほどの活動の中で、生前に出したアルバムは2枚だけだったにも関わらず、亡くなった後に次々とライヴ録音が発表され、なんと約50枚ものアルバムがリリースされているという、伝説のサックス奏者がいます。
フリージャズ、前衛ジャズの世界で今も語り継がれる稀代のサックス奏者、阿部薫は1949年5月3日、神奈川県川崎市に生まれました。アルトサックスを主体に、ソプラニーノ、バスクラリネット、ハーモニカやピアノ等もライブで演奏に使用しました。特にアルトサックスの演奏において、既存の音楽語法に捕らわれない、彼独特のコントロールによるサックスサウンドと、それを使った情熱的なパフォーマンスは、1970年代の多くの音楽ファンを魅了しました。
現代ではノイズミュージックの範疇に入るプレイスタイルと言えるかもしれませんが、そのサウンドはマルセル・ミュールとの類似が指摘されるなど、美しさを根底に宿す魂の叫びと言われました。
川崎市立橘高等学校を中退し、1968年、川崎のジャズスポット、「オレオ」にてプロデビューした阿部薫は、アルト・サックス奏者として形式をもたない自由即興演奏に取り組み、都内のライヴ会場を拠点に全国各地で演奏活動をおこないました。
70年代前半は、フラジオ域のハイノートを多用した、スピード感あふれる攻撃的なパッセージと、洪水のように連続して繰り出される、低音のうねりを得意としていましたが、74年冬から一年弱、一時的に表舞台から姿を消した後、75年末あたりからは、沈黙と間(ま)の比重が増した音空間の実現へと向かうようになりました。フリージャズ演奏の表現手法の一つである、既存の楽曲の短いフレーズを即興演奏のなかで繰り返す手法を多用し、そのバリエーションは歌謡曲や童謡、フォークソング、ミュージカル曲、映画音楽、ジャズスタンダードと多岐に渡りました。
1978年9月9日、睡眠薬ブロバリンを過剰服用したことによる急性胃穿孔で、29歳で早逝するまでの10年間、阿部薫は日本の音楽シーンを疾走しました。後年の多くのミュージシャンにも影響を与えており、今年3月に公開されたドキュメンタリー映画、『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』では、大谷能生、大友良英、纐纈雅代、竹田賢一、吉田隆一ら、さまざまな世代のミュージシャンによる「阿部薫・讃」が紹介されています。
阿部薫のアルトサックスのマウスピースはセルマーのジャズメタルです。メタル特有の鋭くかつ澄んだ音色で、感情を込めた不思議な阿部薫サウンドを放出しています。
フリージャズは必ずしも馴染み易いものではありませんが、サックス吹きであれば、彼の出すサックスサウンドには、きっと心惹かれるところがあると思います。
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