エリントン楽団のハリー・カーネイ、ベイシー楽団のチャーリー・ホークスなど、名門ビッグバンドの低音部を支えた伝説のバリトンサックス奏者たちと並び称される、サド=メル楽団のバリトンサックス奏者として有名なペッパー・アダムス(本名:Park Frederick “Pepper” Adams III)は、1930年10月8 日アメリカのミシガン州、デトロイトの隣町ハイランドパークに生まれました。
16歳から地元デトロイトのジャズシーンでプロとして活動を開始し、1956年にスタン・ケントン楽団に参加、その後ニューヨークに進出します。ニューヨークではチャーリー・ミンガスとの共演、ドナルド・バード(tp)との双頭クインテット、多くの大物プレーヤーとのセッション等で、揺るぎない人気を獲得していきます。65年からはサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラの主要メンバーとして活躍しました。
バリトンサックスはコントロールの難しい中低音域サックスですが、バリトンサックスをバリトンサックスらしい音色で吹くということに関しては、ペッパー・アダムスの右に出る人はいないと言われています。
バリトン奏者といえば、まずジェリー・マリガンの名前が一番にあがりますが、スムースでスマートなサウンドがマリガンならば、その対極のゴリゴリと荒削りな、豪快なプレイがペッパー・アダムスです。
対照的なプレースタイルと、またマリガンと同世代という事もあり、二人はライバル同士とも言われましたが、クールジャズのマリガンに対し、ペッパー・アダムスはあくまでもハードバップ系で、音楽的な志向はあまり交わる部分が無かったようです。
ぺッパー・アダムスの代表作としてよく紹介されるのが、『10 T0 4 AT THE 5・SPOT(19 58)』です。ドナルド・バード(tp)との双頭クインテットで、リズムセクションにボビー・ティモンズ(p)、ダグ・ワトキンス(b)、エルビン・ジョーンズ(ds)を配し、ニューヨークの老舗ジャズクラブ、「ファイブスポット」で1958年4月15日にライブ録音したものです。
音を出すだけでも難しいバリトンの低音域で、ブリブリと太い音で速いパッセージを駆使するペッパーの演奏は、まるで「バリトンでチャーリー・パーカーを模倣している」とも感じられます。大量の圧カのある息を必要とし、大きな煎餅ほどある重いパッドをパタパタと動かさねばならない、バリトンサックスのこの音域での動きはとは思えない、超人的な演奏です。
そんな歯切れの良いサウンドと、切り裂くようなフレーズで、ペッパー・アダムスは「ナイフ」のニックネームでしばしば呼ばれました。
ペッパー・アダムスの楽器は、初期の頃はセルマーのBalanced Action, 1980年以降はセルマーの Balanced ActionとSuper Action (Mark VI以前)のハイブリッド型のバリトンサックスで、いずれもローAキー無しのタイプです。マウスピースは永らくオールドベルグラーセンメタルの105を使っていましたが、使用16年目で穴が開いてしまい、デュコフD・5に替え、リードはBARIのプラリードを使うようになりました。
ペッパー・アダムスの晩年は、怪我と病気との戦いでした。1984年に車の駐車中の事故で足に大怪我を負い、その年の大半を療養で過ごし、1985年3月に肺がんが発見され、1986年9月10日にニューヨークのブルックリンの自宅で55年の生涯を閉じました。本人の希望で葬儀はおこなわれず、遺骨はニューヨークの港に散骨されたそうです。亡くなる2か月前のモントリオール国際ジャズフェスティバル(カナダ)での演奏が、ペッパー・アダムスの最後の演奏となりました。
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