アート・ペッパーは、ウエストコースト・ジャズの中心的な人物として活躍したアルトサックス奏者です。そのサウンドは、あるときは墨絵のように繊細な濃淡で感情の起伏を表現し、またあるときには緩急自在なスピード感を持って自由自在にメロディを操り、優しさと激しさが同居する演奏で聴衆を魅了しました。
繊細かつ「俺び寂び(わびさび)」すら感じる彼の演奏は、特に日本のジャズファンの心に届いたようで、日本での評価が非常に高いジャズアルト奏者です。
アート・ペッパー(本名:アーサー・エドワード・ペッパー・ジュニア(Arthur Edward Pepper, Jr.)) は、1925年9月1日、アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスの南部、ガーデナに生まれ、1982年6月15日、脳溢血により56歳で死去しています。
1940年代後半よりスタン・ケントン楽団やベニー・カ ーター楽団で活動を開始し、1950年代には自己のコンボを結成、ウエストコースト・ジャズの中心人物として活躍しました。先に記したように、繊細でかつリズミカル、そして美しいメロディがペッパーの特徴ですが、ドラッグに溺れていた時期が長く、西海岸を拠点にリハビリ、復帰を繰り返しながら、数多くの名盤を残しています。
21枚に及ぶ自己のリーダーアルバムの中、『Intensity (1960録音、1963リリース)』と『Living Legend (1975)』間には15年もの空白があります。この15年をペッパーは、薬物中毒者のためのリハビリテーション施設で過ごしています。56歳で没したミュージシャンが、35歳から50歳までの 15年をも薬物治療のための空白としたとは余りにも悲しいことですが、残されたアルバムの多くは素晴らしいものです。
なかでもピカイチの名盤と言われる『Art Pepper・Meets The Rhythm Section(1957)』は、マイルス・デイビスのクインテットが西海岸に来ていた時に、マイルス抜きのリズムセッションをバックに1957年1月に録音されたものです。ポール・チェンバース(B)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(Ds)、レッド・ガーランド(Pf)という強烈なリズムセクションをバックに、セッションの一発レコーディングということですが、ペッパーが実にキレの良い演奏でスイングしています。
彼の楽器は、空白前の1950年代はマーチンThe Martin、空白後はクランポンSuper Dina-action(1975-1976)、セルマーMark VII s/n 24xxxx(1976-1979)、セルマーMark VI s/n 10xxxx(1980-)との記録があります。録音では楽器によるサウンドの変化はほとんど分かりませんが、操作性やサウンド、吹奏感等に本人がこだわったり、楽器メーカーとの契約によるもので使用楽器を選んでいたようです。
楽器にも表れているように、短い音楽キャリアの中でも、ペッパーは常に自己のスタイルを進化させていました。その変化は多くの演奏家にありがちな、聴衆に迎合したものではなく、常に自分の興味や向上心、探究心によるものであったようです。
録画日付が「May9, 1964」とある動画では、なんと、あの、アー ト・ペッパーが、ジョン・コルトレーンにそっくりなスタイルの演奏を熱演しています。多くのジャズアルトサックス奏者が、アート・ペッパーをアイドルにしているのは、ペッパーのこういう懐の広さ故なのかもしれません。
——————————————————————————————–
この記事へのコメントはありません。