先日は、口の中の見えない部分を表現するための、「シラブル」についてお話ししました。
サックス演奏を趣味とし、まがりなりにも音楽の傍で日々を過ごしていると、シラブルなどの様に「言葉に置き換えられた何か」に遭遇することがままあります。
「温かい息を吹き込んで」とか「音を遠くに飛ばすつもりで」とか「歌いながら吹く」等々、初めて聞いた時には、「はあ?」と顔をしかめるしかない、「慣用句」がサックスの世界には数多くあります。何となく分かった気でスルーしていませんか?
「温かい息で楽器をしっかり響かせて吹く」と言われても、サックスの音に息の温度はほとんど無関係です。暖かい息で手のひらを温めるときのような喉の形(「は」の発音の形)と、息のスピードでサックスに息を吹き込むと、良いサウンドとコントロール性が期待できる、という比喩です。
逆のアプローチで言うなら、「ろうそくを吹き消すような息で吹くな」とでも言いましょうか。「ふうー!」と細くて速い息を、喉を絞めて出す感覚は、サックスの奏法的には勧められない吹き方です。
「音を遠くに飛ばすイメージで」と先生や先輩はよく言います。そして「大きい音ではないんだよ」と付け加えます。サックス初心者のとき、ほとんどの方が「サックスは修行なんだ…」と天を仰いだことでしょう。
音は約340m/秒で空気中を進み、そのエネルギーは物理法則に則って距離減衰します。肩が良い野球選手ほど、遠くヘボールを投げられるのと同じです。遠くへ届く大きくない音は、矛盾そのものです。そう、先生や先輩は、「投げ方」を言っているのではなく、ボールを受ける側の視点で話しています。「遠くの聴き手にも届く音をイメージする」、という事です。
もっと詳しく言えば、遠くで小さな音になっても、周りの音に消されず、聴き手がその音の存在を識別できる音を届けろ、ということです。主音程成分に対して、整数倍音等の音色成分は必要ですが、不必要な雑音成分はサウンドの認識性と独立性を悪化させます。芯がしっかりとしたきれいな音が、遠くまで届く、良いと言って良いでしょう。
「歌いながら吹く」と言われて、本当に声を出して歌って吹いたら、グロートーン奏法が身に付きました。ま、怪我の功名です。この慣用句は二つの事を示唆しています。
ひとつめは、肉声で歌っているように抑揚や音色をコントロールし、サックスのサウンドに音楽的なドラマ性を持たせろと言う事です。ドラマ性を持たない楽器の棒吹きの音は、ただの雑音で音楽ではありません。
もうひとつの目的は、演奏中に頭の中で歌うことで、奏者が最適な奏法の変化をおこなえるということです。歌うことで各音の適切な高さがイメージでき、口腔内もその高さの音を出し易い状態になります。ブレスも歌に合わせられますし、強弱のガイドにもなります。
このように、音に関することを言葉で表すのは大変です。故に色々な慣用句が語り継がれています。でも、大事なのは「音そのもの」です。かのサッチモは、「自分の演奏について説明が要るようなら、演奏などするべきではない」と言っています。
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