歴代のジャズサックス奏者の偉業をしっかりと受け継ぐ、まぎれもない本物のジャズサックス奏者であり、今の時代を代表するジャズプレーヤー、ジョシュア・レッドマンは1969年2月1日、米国カリフオルニア州バークレーに生まれました。
伝説のサックス奏者デューイ・レッドマンを父、ダンサーのレニ ー・シェドロフを母に持つ芸術家一家に育ち、幼少期から楽器演奏に親しんでおり、9歳のときにテナーサックスを演奏するようになりました。
バークレー高校時代には、ジャズアンサンブルとコンボの専任メンバーとして活躍しましたが、学問が常に彼の最優先事項であり、プロの音楽家になることを真剣に考えたことはありませんでした。
名門ハーヴァード大学で社会学を学び、1991年、優秀な成績で卒業します。既に超名門の法科大学院、イェール・ロースクールに合格していましたが、このあたりから音楽への興味がもう避け難いほど大きくなっていました。結局ロースクールには進学せず、ニューヨークのブルックリンに引っ越し、一流のジャズ奏者達とセッションをしまくる毎日となりました。
ニューヨークに引っ越してから5か月後、その年の11月、ジョシュアは有名なセロニアスモンク・インターナショナルジャズサックスコンペティションで優勝します(そのときの二位がエリック・アレキサンダーです)。 しかし既に、ジャック・ディジョネット、チャーリー・ヘイデン、エルビン・ジョーンズ、ジョー・ロヴァーノ、パット・メセニーなどの超一流ジャズプレーヤー達とのツアーやレコーディングを始めていたジョシュアにとっては、モンク・コンペティションの優勝も、単なるその年の出来事のひとつにすぎませんでした。
プロの音楽家としての生活に完全に専念するようになったジョシュアは、ワーナーブラザーズレコードと契約し、1993年に彼の最初のアルバム、『ジョシュア・レッドマン(Joshua Redman)』をリリースし評判となりました。
立て続きにパット・メセニー(g)、チャーリー・ヘイデン(G)、ビリー・ヒギンズ(ds)をバックにしたアルバム『ウィッシュ(Wish)』をリリースし、次世代を担うジャズテナー奏者の地位を揺るぎないものにしています。
その後も定期的にメインストリームのジャズのアルバムを発表しますが、2002年発売の『エラスティック(Elastic)』 でフュージョンミュージックを打ち出した時には、ファンの間では賛否両論があったようです。
しかし揺るぎない技術とジョシュアの個性によって、文句のつけようのない名盤になっていることには異論はないようです。あらゆるスタイルの音楽や、創造活動に精力的に挑戦するジョシュアですが、そのサックスの正確でパワフルなテクニックと、彼独特の柔軟な創造性で、「ジョシュア・レッドマンの作品」として高い品質の演奏が数多く残されています。
ソプラノ、アルト、テナーと器用に吹きこなすジョシュアですが、ソプラノはセルマーMark VIにセルマーソロイストのマウスピース、アルトはセルマーバランスドアクションにメイヤーNYの6番、テナ ーはやはりバランスドアクション4万8千番代にリンクメタルの9*が主に使用されているようです。
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