「ジャズテナーの父」と呼ばれるサックス奏者がいます。今ではジャズといえばテナーサックスが思い浮かぶほど、テナーサックスはジャズの王道の楽器です。しかし、かつてサックスは、ジャズの世界では日陰者でした。
ジャズの初期、ニューオリンズスタイルのジャズでは、トランペット(コルネット)、トロンボーン、クラリネットが活躍しますが、サックスは出て来ません。スイングジャズの時代になっても、当初テナーサックスはクラリネットの代用としてか細い音で吹かれたり、チューバの代わりに低音のリズムを刻む楽器であり、メロディーを吹く楽器ではありませんでした。
彼はその楽器を、「歌う楽器」に変身させ、ジャズにおける主役的な存在へと高めたサックス奏者として、後年「ジャズテナーの父」と呼ばれました。この人物がコールマン・ホーキンスです。ジャズテナーの原点を作り出し、スイングジャズからビバップへの橋渡し役としても活躍し、サックスに限らず、多くのジャズミュージシャンに多大な影響を与えました。
「ホーク」の愛称で親しまれたコールマン・ホーキンスは、1904年11月21日ミズーリ州セントジョゼフに生まれました。奇しくも日本の「演歌の父」、古賀政男と同い年です。中産階級の恵まれた家庭に生まれた彼は、初めは親の奨めでクラシックのチェロを学びます。
しかしその後ジャズに出会ってテナーサックスに転向したホークは、ジャズミュージシャンとして生きていく事を決意し、1922年18歳のとき、「マミー・スミス・ジャズ・ハウンド」というバンドのメンバーとしてニューョークに向かいました。1923年にフレッチャー・ヘンダーソン楽団に加入し、その翌年、あのルイ・アームストロングがこのバンドに参加します。
ニューオーリンズ・ジャズに根ざしたルイのスタイルに大きく影響を受けたホークは、荒々しさと洗練さを兼ね備えた演奏スタイルを自ら確立し、やがてフレッチャー・ヘンダーソン楽団の看板ソリストとなります。
1934年、ホークは世界恐慌の影響を引きずるニューョークを後にし、ヨーロッパへと渡りました。そこで彼は当時世界的に有名になっていたジャズギター奏者のジャンゴ・ラインハルトや、ジャズヴァイオリニスト、ステファン・グラッペリらと共演し、自らの才能に磨きをかけました。
1939年アメリカに帰国した彼は、自己のバンドを持って活躍し、彼の元でビ・バップのスターとなるセロニアス・モンクやマックス・ローチらが育っていきました。この頃録音したリーダー・アルバム 『Body & Soul』のタイトル曲は、ジャズテナーの代表的な名演奏となっています。
1969年5月19日、肺炎を悪化させ65歳でこの世を去るまで、ギリギリまで現役で活躍し続けました。
オットーリンクのヴィンテージ・メタルマウスピース、フォースターモデルには「ホーキンススペシャル」という、通常のモデルと異なるコールマン・ホーキンス仕様のモデルがあります。『Boむand Soul』の大ヒットと、「その時代のテナーといえばコールマン・ホーキンス」というくらい存在が大きかった故のモデルです。フェイシングが一般モデルより短く、ティップも非常に大きくなっています。ホーク自身やベン・ウェブスターが使用した事で知られています。
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