1922年ミズーリ州カンサスシティ生まれのフランク・ウェリントン・ウェス、フランク・ウェスは、テナーサックス/アルトサックス/フルートを卓越した技巧とセンスで吹きこなす、誰もが認める伝説のマルチリードプレイヤーです。フランク・ウェスの一番の功績は、「フルートをビッグバンドジャズに定着させた」ことだと言われていますし、また著名なジャズ評論家のスコット・ヤナウは彼を、「レスターヤングの最高の弟子のひとりである」、と称賛しました。サックスもフルートも演奏は基本的にスウィングスタイルで、フルートの演奏では独特の細かくはっきりしたタンギングを使い、それが素晴らしいメロディーのクリアさと流れとを生み、彼独特のフルートサウンドを作り出しています。サックスも同様で、クリアでそして軽やかで、流れるような洗練されたバップ・スタイルが魅力の正統派テナーマンです。
ウェスは学校長の父と教師の母親の息子として生まれました。オクラホマでの彼の高校時代には、クラシックオーケストラでサックスを演奏していましたが、ワシントンD.C.へ引っ越した際ジャズに転向し、19歳の頃にはビッグバンドで仕事をしていました。彼の音楽キャリアは第二次世界大戦によって中断されましたが、軍を去った後、彼はビリー・エクスタインのオーケストラに加わりました。その後、ワシントンD.C.に戻り、市内のモダンミュージックスクールでフルートの学位を取得しています。1953年から1964年まで、カウントベーシー楽団でテナーサックスとフルートを担当し、際立った存在感を示しました。ベイシー楽団において、僚友フランク・フォスター(ts)とのテナーコンビはバンドの目玉として人気を博し、“トゥ・フランクス(Two Franks)”と称され、多くのファンに愛されました。ベイシー楽団を退いてからはサド=メル・オーケストラ、86年には秋吉敏子オーケストラで活躍しました。しかし、やはりベイシー楽団が水に合っていたのか、御大ベイシーの没後、自らリーダーとなり当時のメンバーを集め、かつてのベイシー・サウンドを見事に再現し、世界中でツアーをおこなっています。2013年10月30日にマンハッタンの自宅で腎不全による心臓発作で亡くなるまで、ウェスはジャズの最前線で演奏し続けました。死の同年に、2011年録音のアルバム”Magic 101”をリリースしています。89歳のフランク・ウェスが、ケニー・バロン(pf)、ケニー・デイビス(b)、ウィナード・ハーパー(ds)をバックに軽快にテナーをブロウしているサウンドは、まったく歳を感じさせません。
ウェスのテナーのサウンドは、ど真ん中のテナーサックスサウンドと言えるもので、楽器はやはりセルマーのMark VI、マウスピースはオットーリンクのニューヨーク時代に製造されたスーパートーンマスター、いわゆる「ダブルリング」を使用していたようです。フルートのメーカーは定かではありませんが、アメリカでは一般的な、低い「シ」まで出せる、いわゆる「H足フルート」を吹いていたようです。
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