ジャッキー・マクリーン(ジョン・レンウッド・マクリーン:John Lenwood McLean)は1931年5月 17日ニューョークに生まれ、2006年3月31日、コネティカット州ハートフォードで死去したアルトサックス奏者です。50年代のハードバップ全盛期から活躍し、2006年に74歳でその生涯を閉じるまで、現役最前線で活躍し続けました。マクリーンは間違いなくジャズ界の巨人と呼ばれますが、決して手の届かない雲の上の存在ではなく、音色やフレーズ、テクニックのどこかに普通の人間と同じ庶民感を漂わせています。口の悪い評論家はそれを「B級」と呼んだりもしましたが、その親しみ易さこそがマクリーンの魅力の根源になっていると思います。
15歳の時に母親からアルトサックスをプレゼントされ、少年時代に仲間と作ったバンドには、ソニー・ロリンズやケニー・ドリューなども参加していたそうです。16歳のとき、ビ・バップ・ピアノの創始者であるバド・パウエルと知り合い、彼を通じて、チャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク等のジャズ・シーンの重要人物に紹介されました。18歳のときにはマイルスの家に住み込み、19歳の10月には、ソニー・ロリンズやアート・ブレイキーと共に、マイルス・デイヴィスのアルバム『ディグ』の録音に参加しています。1956年、25歳でチャールズ・ミンガスの『直立猿人』に参加し、56年~58年まではアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに加入しています。ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』にも参加するなど、問題作、話題作への参加が多く、サックス奏者としては非常に恵まれていたと言えるでしょう。
パーカー、マイルス、ミンガスといった本物の天才たちに愛され、もまれ、鍛えられた魔クリーンですが、自分は彼らのようにはなれない、と早い時期に悟っていたのかもしれません。サイドメンとして加わった演奏に傑作が多く、59年のマル・ウォルドロンのアルバム『レフト・アローン』収録の「レフト・アローン」が彼の代表作と生涯に渡って言われました。ジャズの重要な発展期であるビ・バップ時代に少年時代を過ごしたマクリーンは、ビ・バップスタイルを確立したチャーリー・パーカーからの影響を受けつつ、独自のスタイルを完成させました。そのスタイルはビ・バップを基盤にモードやフリー・ジャズの影響が入ったもので、大変情熱的な演奏スタイルです。「マクリーン節」とも言われる50年代~60年代の演奏は、現在のアルトサックスでのジャズスタイルの基本のーつと言っても過言ではないでしょう。 サックスのセッティングは、ジャズサックス界を席巻したセルマーMark VIに加え、60年代前半にはビュッフエ・クランポン社のスーパーダイナクションにベルグラーセンのラバーマウスピースを使っていたそうです。輪郭のはっきりしたシャープなサウンドが持ち味で、フラジオトーンもピューピュー吹いてしまうところは、かなり「今的」です。
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