1930年アメリカ、ジョージア州で生まれたハンク・モブレー(Hank Mobley)は、ちょっと癖のある (?)テナーサックス奏者兼作曲家の偉人です。著名な評論家レナード・フェザーによって「テナーサックスのミドル級チャンピオン」と評され、まるでモブレーが平凡で特徴のないサックス奏者であると解釈されてしまいましたが、実際にはジョン・コルトレーンほど重く激しくなく、スタン・ゲッツほど柔らかく軽やかでないサウンド、という意味だったようです。聴く者を一瞬のうちに引き付けてしまうような際立った個性はありませんが、一見地味にさえ聞こえてしまうプレイに、実はモブレーの音楽世界の特徴があります。そう、癖がないのに癖になる、といった感じでしょうか。彼の歌心に富んだソロの楽曲としての完成度は秀逸で、何度も繰り返し聴いていると、徐々に味わいが深まってくるタイプのサックス奏者です。モブレーが活躍し始めた当時のテナーサックス業界は、デクスター・ゴードンやソニー・スティットのように、パーカーの語法をいかにテナーに置き換えるかということが依然として主流でした。そんな中モブレーは自分なりのオリジナリティーで勝負し、テナーならではの太くまろやかなトーンと、流れるようなメロディ・ラインを追求していました。実際、彼のリーダーアルバムに収録されている曲のほとんどが、自己のオリジナルの曲となっています。そしてソロでもモブレーのサックスから出てくる音は、常にメロディアスで独創的です。
モブレーは1951~53年のマックス・ローチのグループ、1954年のディジー・ガレスピーとの演奏で注目され始め、1954~56年には多くの大物ミュージシャンを輩出した、アートブレイキーのジャズ・メッセンジャーズにも在籍しました。1961~62年にマイルス・デイビスのバンドに在籍しましたが、1960年以降は自己のバンドを中心に活動しています。1970年代半ばに肺の障害のため引退、1986年に肺炎により亡くなりました。多くの録音でのモブレーのプレイは、共演しているプレイヤーの演奏をしっかりと支え、出しゃばることなく、周囲と調和し、自分の役割をキッチリと押さえています。どんなに全体が熱くなっても自分勝手に走ってしまったりせず、常に全体の音楽的な調和を考えているようでもあります。モブレーと付き合いのあったミュージャン達は、口をそろえて彼の人格と音楽家としての姿勢を讃えています。
使用楽器も彼らしく、セルマーのSBA(Super Balanced Action)、マーチンのCommittee 、キングの Super 20等とあまり道具こだわっていなかったようです。マウスピースもフロリダ時代のオットーリンク Super Tone Masterと教科書通りです。このようなモブレーですので、コルトレーンやロリンズ、ホー キンスやウェブスターのテナーサウンドのように、「吹いた途端に誰だか分る」サウンドではありません。しかしソロの滑らかな旋律や、メロディックでアイデアに富んだフレーズは確実にモブレーのそれと分かります。そしてそのソロが確実にバンド全体に馴染んでいます。ハンク・モブレーにとって音楽を演奏するということは、自我の表現とか、自分の個性を認めさせるとかという前に、仲間と音楽の美しい世界を共有することだったのかもしれません。
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