伝説のジャズテナー奏者でありながら、俳優としても高い評価を受けており、背が高く、帽子が良く似合う、ハンサムで寡黙でクールなテナーマン、愛称「デックス」と呼ばれたデクスター・ゴードンは、1923年ロサンゼルス生まれの、ビバップ期真っただ中に活躍したテナーマンです。40歳以上のジャズテナー奏者たちに、「アイドルのテナーマンは?」と訊くと、4人に一人くらいは名前をあげる、ジャズ史にその名を遺す「ザ・ジャズテナーマン」です。
デクスター・ゴードンは1940年、友人のアルト奏者、マーシャル・ロイヤルの紹介でライオネル・ハンプトン楽団に加入しました。マーシャル・ロイヤルと言えば、カウント・ベイシー楽団でその名をとどろかせたリードアルト奏者です。デクスター・ゴードンが映画「ラウンドミッドナイト」の中で、何か心残りは、とたずねられ、「カウント・ベイシー楽団でプレイしなかったことだ」と語っていますが、あれは俳優としてのセリフではなく、デックスのアドリブだったとのことです。多くの名テナー奏者がベイシー楽団でプレイしましたが、デックスがあの伝説のバンドで吹いていたら、さぞ凄い演奏を聴かせてくれたことでしよう。1945年にニューョークに移り、多くのレコーディングに名を残し、第一線のジャズシーンで活躍しました。しかし1950年代はドラッグ中毒になり、療養と投獄を繰り返します。
1955年に「Daddy Plays the Horn」をリリースしましたが、それ以外はほとんど病院と刑務所の日々でした。そしてドラッグから立ち直ったデックスは、1960年、リーダー「The Resurgence of Dexter Gordon」でジャズシーンに復活します。その後ョーロッパに定住、1976年までフランスやデンマークを拠点に活動しました。1962年の「0ur Man in Paris」、「One Flight Up」(1964)、「CLUBHOUSE」(1965)はこのころの作品です。そして1976年アメリカに戻り、アメリカでの活動を再開します。精力的に活動し、1986年には俳優として映画「ラウンドミッドナイト」に出演、アカデミー主演男優賞にノミネートされました。1990年公開のロバート・デ・ニーロ主演の「レナードの朝」に病気を押して出演していますが、撮影を終えて間もない1990年4月25日、67歳という若さで腎臓病により帰らぬ人となりました。
デックスのテナーサウンドは、それ以前のジャズテナーの正統派であった、ベン・ウェブスターやコールマンホーキンスのような「野太くふくよかな、包み込むようなサウンド」とは少し違っています。どこか哀愁漂う、大らかで豪快かつ繊細なテナー。それはデックス独特のシャープさをもったサウンドと言えるかもしれません。デックスのセッティングは50 年代まではコーンの10Mにデュコフを主体に、60年代以降はセルマーマークVIにフロリダのリンクメタルです。この時代のテナーマンの定番中の定番ですので、解説するまでもないのですが、デックスの各時代のサウンドを良く聞きこむと、「テナーテナーした豪快なサウンドよりも、コントロール性を重視したセッティング」、と言えるような気がします。
——————————————————————————————–