松本英彦は「日本のジャズ」を作ったミュージシャン達のひとりで、日本のジャズの歴史に残る偉大なテナーマンです。1926年岡山県に生まれ、18歳でプロ活動を開始、いわゆる「米軍キャンプ」のバンドを経て、日本のジャズブームの中心となる「ビッグフォー(ジョージ川口(ds)、中村八大(pf)、小野満(b)、松本英彦(ts)」で活躍することとなります。日本ジャズ界への多大な貢献を評価され、1991年には紫綬褒章を受章しています。肺ガンの手術後の医療ミスが元で全身麻痺となり、3年近い闘病生活の末、2000年に73歳で亡くなりました。
ニックネームは「スリーピー松本」。細い目が演奏中に眠っているように見えるからとか、コンサート中にピアノの横で居眠りをしていたから、とも言われているこのニックネームは、常に温厚な微笑みを絶やさない、大きな包容力を感じさせずにはいられない松本にとって、最適のニックネームだったことでしょう。第二次世界大戦終了後、それまで禁止されていた欧米の音楽が怒涛の如く日本に流入し、それに刺激を受けた多くの若い演奏家たちが「バンドマン」となりました。米軍キャンプのパブやダンスホールで演奏し、本物のジャズを勉強しながら、自己の技量を向上させて行きました。その背景には、敗戦日本政府が米進駐軍の要請に応えるかたちで始めた、演奏家の派遣業務があります。国内の演奏家を集め、米軍キャンプや基地、ホテルに設けられた米軍高級将校や軍属の宿舎に派遣し、演奏させる業務です。プレイヤーの絶対的不足により、日本人プレイヤーたちはそれなりに歓迎され、多くの演奏場所がありました。それゆえに極端に言えば、楽器をもってさえいれば、何かしらのバンド仕事にありつける状況だったようです。そんな玉石混合の状況の中から、スリーピーたちのような「本物」が巣立ち、日本のジャズを作り上げていったのです。
松本英彦のサウンドは、あくまで太く、温かく、スムースな正統派のテナーサウンドです。奏法も、「呼吸するように」自然で無理のないものになっています。息の吹き込み、ブレス(息継ぎ)、タンギングを、まるでサックスが自分の声であるかのように歌っています。これほどスムースなテナーの演奏は、世界的に見てもそれほど多くはないでしょう。彼は多くの後進にサックスのレッスンをおこないましたが、指導を受けた多くのサックスプレーヤーが、彼の論理的で無駄のない奏法や、練習法の合理性に驚嘆したと述べています。スリーピーは1979年に購入した、HセルマーのマークVII GP(ゴールドプレート)をずっと愛用していました。後期のマークVIIで、かなりSA80系の技術も採用されていそうです。マウスピースは主にベルグラーセンのメタルで、典型的な「豪快テナー系」です。
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