2007年の年が明けて間もない1月13日、多くのジャズファンを呆然とさせた彼の突然の死。偉大なジャズテナー奏者でありEWI(エレクトロニック・ウィンド・インストルメント)奏者のマイケル・ブレッカーが、骨髄異形成症候群から進行した白血病のため亡くなりました。死のまさに直前まで、マイケルは最前線で時代の音楽シーンをけん引していました。生まれ持った才能と弛まない努力によって、彼は最高の技術とセンスで、素晴らしい音楽世界をファンに届けてくれました。
ブレッカー・ブラザーズやステップス・アヘッドといつた、兄、ランディ(Tp)と共同リーダーを務めたバンドでの活動に加え、自己のリーダーバンド、スタジオ・ミュージシャンやツアーバンド・メンバー、フィーチャード・ソロイストとしての活動も幅広く、関わった録音も多様なジャンルに渡り、その数は1,000を上回ると言われています。マイケル・ブレカーを「20世紀を代表するテナーサックス奏者」と言っても、誰も異論は唱えないでしょう。57歳で亡くなる直前まで新作のレコーディングを進めており、そのアルバム「PILGRIMAGE」が遺作となりました。病室にEWI等の機材を持ち込んで、レコーディングを続けていたそうです。彼の正確無比なサックステクニックは、比べられる奏者もいないほどの至高のテクニックであり、一部のファンには「機械的過ぎて冷たいサウンド」とも言われましたが、没後発表された『UMO JAZZ ORCHESTRA WITH MICHAEL BRECKER LIVE IN HELSINKI 1995』では、キャリアの集大成を迎える絶頂期のマイケルのサウンドが熱くうねりを上げており、兄、ランディ・ブレッカーも、「マイケルの最高のプレイのひとつだ!」、とそのクォリティの高さに驚愕したと言われています。
ファンクやフュージョンジャズと呼ばれるジャンルで主に活躍したマイケルは、いわゆる「電子化サックス」の先駆者でもありました。バーカスベリー社のリード貼り付け型ピックアップ、モデル1375を1970年代のブレッカー・ブラザーズで使用しており、また1980年代にはネックに穴をあけて装着するピエゾタイプのピックアップをラックタイプのシンセサイザーに接続して演奏しています。「Steps Ahead」の1986年の厚生年金会館でのライブでは、EWIの前身である「スタイナーホーン」を吹いており、サンプラーや複数音源を駆使した一人オーケストラ的演奏は必聴です。1988年には本格的にAKAIのEW11000を使用し始めています。当時ヤマハのメカキータイプのサックスシンセサイザーWX7も発売されていましたが、マイケルは静電タッチキータイプの AKAI製を終始使用していました。スピーディーな運指を突き詰めるには、触れるだけで感知される静電タイプが向いているとのコメントも残しています。
マイケル・ブレッカーのことを書き始めると、まったく紙面が足りません。とにかくマイケル、凄いっす!
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