スタン・ゲッツは1927年、ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれのジャズテナーの巨人です。誰もがその名前を知る、「ザ・ジャズマン」ですので、彼について語れる逸話は星の数ほどあるのですが、今日は「フォー・ブラザース」、「ドラッグ」、「ボサノヴァ」の三題噺でまとめてみます。
ジャズの歴史において、「ユダヤ系ジャズマン」は才能ある演奏者のひとつのグループとして分類されています。ゲッツはユダヤ系ウクライナ人移民の家庭に生まれたユダヤ系ジャズマンで、ピアノのビル・エヴァンス、アルトサックスのリー・コニッツ、スイングの帝王ベニー・グッドマン、またビッグバンドの巨匠ウディ・ハーマンも「ユダヤ系ジャズマン」です。ゲッツがベニー・グッドマン楽団やウディ・ハーマン楽団で鍛えられ、頭角を現したというのは、そんな「出自」が関係していたのかもしれません。スタン・ケントン楽団やトミー・ドーシー楽団といった一流バンドで経験を積み、ベニー・グッドマンに移った頃のゲッツは、当時の最先端ジャズ「ビ・バップ」に傾倒し、チャーリー・パーカーのフレーズの研究等に時間を費やしたそうです。そしてウディ・ハーマン楽団で方向性を同じとする先進の若手サックス奏者とともに、伝説の「フォー・ブラザース」を録音します。「フォー・ブラザース」のサックス・セクションは、スタン・グッツ、ズート・シムズ、ハービー・スチュワードの3人のテナーサックスにバリトンのサージ・チャロフという、アルトレスの斬新な編成で、中低域が分厚い、独特のファットなサウンドで人気を博しました。この曲はビッグバンドのサックス奏者にとって、ゆるぎない至高の教材として頻繁に演奏されています。
次にゲッツのドラッグ歴です。スタン・ケントン楽団時代に若くしてヘロインに手を出し、ウディ・ハーマンのビッグバンドで有名になった頃には立派な中毒患者でした。26歳でモルヒネ欲しさに強盗未遂事件を起こし逮捕され、半年間の麻薬刑務所暮らしを送ることになります。その後、麻薬に代わってアルコール依存に悩まされつつも演奏活動を続け、闘病生活を続けた末に1991年、64歳で肝臓癌で逝去しました。ゲッツにとって不幸だったのは、彼の演奏がドラッグや酒の依存症による衰退を周りに感じさせなかったことでした。もちろんそれらのせいで彼の精神と肉体は蝕まれ、生活も荒れていましたが、彼としては良い音楽を生みだせればそれで良かったのでしょうか。同時代のプレーヤー達の中では、「人としては最低の人間」とのゲッツの評価も少なくないようです。
そして「ボサノヴァ」のゲッツです。一時期ほとんど引退状態でスウェーデンに移住していたゲッツはアメリカに戻り、「ボサノヴァ」の生みの親のひとり、ジョアン・ジルベルトと、彼の奥さんアストラッド・ジルベルトとともに、「ゲッツ/ジルベルト」を発表します。これが大ヒットし、ゲッツは再び脚光を浴びることとなりました。そのヒットには「ボサノヴァ」という目新しい音楽の効果もありましたが、ジャズマンとしてのゲッツの高い音楽性があってこそのものでした。甘い歌声にからみ付く、寄り添うようなオブリガート(合いの手のメロディ)は、ゲッツならではの音楽世界が作られています。スタン・ゲッツはあらゆる意味で「超人」です。
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