サックスを長年吹いていると、先輩や先生に何百回となく言われるお決まりフレーズが、いくつか体に染み着いています。そのひとつに、「音を遠くに飛ばせ!」があります。もちろん音は目に見えませんし、羽が着いていて飛ぶ訳でもありません。遠くにいるひとにも音が届くように、遠くにいても聴こえるように吹きなさい、という意味です。そして多くのサックス奏者が、これを「大きい音を出せ」と勘違いしています。今日はその勘違いの謎を解明します。
確かに大音量の音は遠く離れていても聞こえます。しかし「大音量」を近くで聴くのは危険です。うるさいし、下手をすれば耳が物理的に故障します。昔、ロックコンサートでスピーカーの前の席に座ってしまい、一週間耳鳴りが治りませんでした。サックスでこんな大音量は出せませんが、「うるさい音」はサックスにとって良い音なのでしょうか?別にロックに恨みがある訳ではありませんが、ロックバンドの電気楽器プレーヤー達は、ボリュームを回せば簡単に大きな音を出すことが出来ます。残念ながらサックスにボリュームノブは有りませんし、ほとんどの場合サックスの生音は、コンサートホールサイズの中での聴衆に届けばOKです。必要ならマイクを通して音量を追加出来ます。なので、サックスの「遠くへ飛ぶ音」は大音量の音とは違うのです。
「遠くのひとに届く音」をもう一度考えてみましょう。大きな河の対岸で誰かがサックスを吹いています。人のサイズは豆粒ほどですが、きれいなサックスの戦慄が私のところまで聴こえてきます。何故私に聴こえるのでしょう。すぐ後ろにある県道には沢山の自動車が走っています。河のこちら側の目の前のグランドでは野球をやっています。笛に合わせてランニングをする一団も通り過ぎています。私の周りがノイズだらけなのにもかかわらず、対岸からのサックスの音が私に届く。そう、サックスの音がノイズに負けずに、ノイズの隙間を通り抜けて私に聴こえてくるのです。自然にはあり得ない安定した音程、音の輪郭、楽器の美しい音であるがゆえに、ノイズに負けずに、というより、ノイズに紛れずに私の耳に届いてくるのです。サウンドに芯があり、しっかりとした輪郭を持ち、雑然とした生活空間の中のサウンドノイズにかき消されない、音楽としての個性を持った音。それが「遠くへ飛ぶ音」です。逆を言えば、日常生活の騒音の中にはほとんど存在しない、音楽性に溢れたサウンドが、生活空間のノイズに打ち勝って、騒音に押し潰されることなく遠くの聴衆に届くのです。
人間の聴覚には、マスキング効果と言う「聞きたいものを選り分けて聞く能力」があります。つまり聴衆が、「美しい」、「魅力的だ」と感じる音は、聴き手が本能的に選んで「すくい上げて」聴いてくれるのです。遠くへ飛ぶ音のイメージ、なんとなく分かってもらえましたか?
——————————————————————————————–
『イー楽器のお得情報』